いのち
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2012年度修学院フォーラム「高齢を生きる―認知症・胃ろう・尊厳死を見据えて―
第4回 「自分らしく、人間らしく」死にたい?――尊厳死・安楽死を考える
 高齢化社会が本格化する中で、高齢者が満足感をもって日々の生活を生き、尊厳をもって自らの生を締めくくるための制度や文化は、まだ十分に成熟しているとは言 えない。本フォーラムでは、高齢者本人のみならず、家族に対しても大きな精神的・倫理的課題を突きつけることになる認知症と、それにともなう胃ろうの設 置、尊厳死の問題を本格的にとりあげる。また、こうした終末期の課題をしっかりと受けとめるためにも、そこに至る長い老いの時期を、いかに積極的に生きる ことができるかを、それを実践している先端的な現場において考えていきたい。
講師:大谷 いづみ 
(立命館大学産業社会学部教授)
   「尊厳死」は日本では一般的に無理な「延命」治療をせず自然な死にまかせることで、致死薬を投与して積極的に死なせる「安楽死」とは異なると理解されています。ところが、欧米キリスト教圏の「死ぬ権利」運動では、「dying with dignity(尊厳をもって死ぬこと)」とは「医師幇助自殺」あるいは「医師による致死薬投与」つまり日本で言う「安楽死」を意味します。不思議なことに、「尊厳死」は「安楽死」とは違うと主張する現在の「日本尊厳死協会」は、1976年の設立当時は「(日本)安楽死協会」と名のっていましたし、設立者の太田典礼は、「尊厳死」という言葉を宗教性を帯びた非科学的なものであるとして嫌っていました。また、日本で「尊厳死」を容認する人びとは、切腹の死の作法や深澤七郎の小説『楢山節考』を引き、「覚悟の死」を選ぶのは日本人の伝統的な美徳であるとして、子どもたち・若者たちに教育することを主張しています。
 このような日本と欧米との食い違いはなぜ生じたのでしょうか。「日本安楽死協会」はどのような経緯で「日本尊厳死協会」と名のるようになったのでしょうか。尊厳死・安楽死を求めることを、欧米では、なぜことさらに「権利」といい、日本では「美徳」と語るのでしょうか。そもそも「尊厳死」「安楽死」「自殺」「殺人」はどこが違うのでしょうか。そして、尊厳死・安楽死論とキリスト教思想はどのような関係があるのでしょうか。
 当日は、尊厳死・安楽死論の歴史をたどりながら、「自分らしく、人間らしく、尊厳をもって死にたい」という素朴な願いが図らずも意味してしまうことを、みなさんと一緒に考えてみたいと思います。

2013年1月19日 (土) 13:30-17:30
場 所:関西セミナーハウス
参加費:2000円 学生500円
締切日:2013年1月16日
<講師プロフィール>
大谷 いづみ(おおたに いづみ) 氏
立命館大学産業社会学部教授
立命館大学大学院先端総合学術研究科修了。博士(学術)。 上智大学文学部哲学科卒業後、1980年代なかばより、東京都立昭和高校、同国分寺高校、東京学芸大学教育学部附属高校大泉校舎で生命倫理教育をたちあげる。その後、千葉科学大学非常勤講師、文部科学省初等中等教育局兼任教科調査官などを経て、2007年より現職。 著書:共編著に『はじめて出会う生命倫理』(有斐閣)、共著に『医療倫理教育』(シリーズ生命倫理学19巻 丸善)、『メタバイオエシックスの構築へ』(NTT出版)、『死生学〔1〕死生学とはなにか』(東京大学出版会)、『ケアという思想』(シリーズ・ケア その思想と実践 第1巻、岩波書店)、『ケアの社会倫理学――医療・看護・介護・教育をつなぐ』(有斐閣)など。
  
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