いのち
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 2012年度 修学院フォーラム 高齢を生きる ―認知症・胃ろう・尊厳死を見据えて―
第1回 高齢者の終末期医療とケアを考える
  高齢化社会が本格化する中で、高齢者が満足感をもって日々の生活を生き、尊厳をもって自らの生を締めくくるための制度や文化は、まだ十分に成熟しているとは言えない。本フォーラムでは、高齢者本人のみならず、家族に対しても大きな精神的・倫理的課題を突きつけることになる認知症と、それにともなう胃ろうの設置、尊厳死の問題を本格的にとりあげる。また、こうした終末期の課題をしっかりと受けとめるためにも、そこに至る長い老いの時期を、いかに積極的に生きることができるかを、それを実践している先端的な現場において考えていきたい。
講師:葛原 茂樹 
(鈴鹿医療科学大学教授)
  わが国では世界で最も速い速度で高齢化が進行し、65歳以上人口は約3000万人に達そうとしている。他方では少子化によって就労人口は減少が続き、高齢者の健康と医療・介護は社会問題から経済問題へと変わりつつある。このような状況の中で、見直しを迫られているのは、高齢者の最期の迎え方である。宗教が社会規範や個人の魂のあり様の中で殆んど存在意義を持って来なかった日本の文化風土の中では、大多数の日本人にとって自己の存在や死について突き詰めて考える習慣も必要もなかったと思われる。そのような国民性は、医療の進歩によって延命技術が開発されると、「生きる」意味を深く考えることなく、「人工的に生かされる」ことと「自分の意思で生きる」ことを区別しないままに、延命処置を受け入れてきた。その結果、わが国の病院や老人施設には、「胃ろうをつけた物言わぬ寝たきり高齢者」という、世界に類を見ない高齢者層が一定数を占める事態になった。
 しかし、この現状は、今や変わり始めた。第一の理由は、生きることの意味=QOL思想の導入であり、第二はそれに基づいた高齢者本人の意思尊重という思想の高まりであり、第三に医療費と介護費の激増による財政破綻という外的圧力である。わが国の高齢者には、これまでの「成り行き任せ、家族任せ、医者任せ」から脱却し、人生最終章の生き様と死に様を自ら決めなくてはいけない時代が到来しつつある。2012年1月の日本老年医学会の「高齢者の終末期の医療およびケアに関する立場表明」の中で、「最善の医療およびケアを受ける権利」として、「何らかの治療が、患者本人の尊厳を損なったり苦痛を増大させたりする可能性があるときには、治療の差し控えや治療からの撤退も選択肢として考慮する必要がある。」と、従来よりも人工的延命処置差し控えに踏み込んだ意見を表明したのも、このような社会的背景を反映したものと思われる。本フォーラムでは、このような高齢者の健康と終末期について、諸外国の例も紹介しつつ考察する。               (葛原 茂樹)
2012年5月12日 (土) 13:30~17:30
場 所:関西セミナーハウス
参加費:2,000 円、学生 500 円 
締切日:5月9日
<講師プロフィール>
葛原 茂樹(くずはら しげき) 氏
鈴鹿医療科学大学教授
鈴鹿医療科学大学教授(保健衛生学部医療福祉学科)、三重大学名誉教授。 1970年東京大学医学部卒、医学博士(東京大学)。専門は神経内科学・老年医学。 東京大学医学部附属病院助手、筑波大学講師、東京都老人医療センター医長を経て、1990年より三重大学医学部神経内科学教授、2001年三重大学医学部附属病院長、2007年国立精神・神経センター病院長。2010年より現職。 日本神経学会理事長、日本認知症学会理事、厚生労働省社会保障審議会介護保険部会委員などを歴任し、神経難病、認知症、高齢者医療、終末期医療、生命倫理に関心を持って取り組んでいる。
  
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